とにかく、こうして、私の証券マン生活は終わりを告げました。確かに毎日ギリギリの中で数字を追い続けていたので、それなりに営業力がつきましたし、知恵もつきました。これが、後の人生を救ったと言っても過言ではありません。今あるは、あのプレッシャーの尽きない4年11ヶ月のお陰なのでしょう。
そして、この4年11ヶ月、ほどんど毎日、玄関先で手を合わせて祈った言葉、「今日も1日トラブルがありませんように。無事、帰って来れますように」そして、夜、家のカギを開ける前に、必ずした、顔面マッサージと作り笑顔の練習。妻に心配させない為です。私の尊敬する先輩に教わった1日を無事過ごせる方法です。この朝晩のお決まりの習慣が、私の今を作っているのでしょう。
その後、私は、義父の会社に勤めることになりました。そこで、人生の中で束の間の休息を頂いたのです。ほんの暫くですけど。そして、翌年の1999年6月に有限会社エイブルネット(現、株式会社セルプス)を設立したのです。当初の事業内容は、アウトソーシングというか、業務請負ですね。義父の会社とは、完全に別でしたので、私とパートさん2人で仕事をしておりました。パートさんは、単なる事務職でしたので。営業は、私1人です。1人で、見込み客獲得からクロージングまでしなくてはなりません。会えれば、何とかなるという自信はありました。しかし、どうやって会うのか。今更、飛び込み営業も出来ないし、考えました。知恵を出しました。そこで思い出したのが、岡山支店の時の先輩がFAXを使っていたことです。見込み客や休眠客に、夕方、一生懸命FAXを流していたのですね。私も頼まれて、たまに、流していました。
これを営業に使おうと思いました。そこで、FAX送信ソフトを買ってきて、一日中FAXを流したのです。あくまで順次同報でしたから、1日、300枚ぐらいです。それでも、1日に1件以上の反応はありました。まだ、FAXDMがほとんど世に知られていなかったようです。その分、反応率も良かったのでしょうね。そして、数年後、運命となる電話が掛かってきました。
「○○部品サービスと言いますけど、社長さん居られるかな」
「私が岡村ですが」
「う〜ん、僕以外に岡山でFAXDMをしている人間がいるとは思わなかった。1度、遊びに来ないですか」
「なら、今から行かせていただきます」
こうして、FAXDMという言葉と出会いました。そして、すぐに注文を頂いたのですね。FAXの代行送信です。といっても、月額手数料5万円で、毎日、送信を代行しました。そして、他に名簿の作成を請け負いました。それは、タウンページに出ている自動車関連の会社のFAX番号を調べて、入力する仕事です。全国で4万件ぐらいあったと思います。もちろん、今みたいに、ネットから一気にデータを落とすことなど出来ません。全国のタウンページを取り寄せて、すべて、手作業でリスト化していきました。その中には、数パーセントのFAX番号しか記載されていませんでした。それでは、どうするのか。電話をしなければなりません。しかし、途方もない件数です。そこで考えました。取り合えず、名簿を集めようと。そして、それでも無かったら、電話をしようと。
思えば、紙媒体の名簿探しを始めた最初だったかもしれません。多くの知恵を使いました。中古車販売会社の社長に関東圏内の業界名簿をもらいました。日産のディーラーをしている社長にディーラー名簿を頂きました。トヨタのディーラーに勤めている後輩に、関西圏のトヨタディーラの名簿を頂きました。私の乗っているパジェロには、三菱自動車のディーラーの一覧がありました。故障の連絡先ですね。更に、スバルに乗っている妻の友達にも車に常備しているディーラーの名簿を貰いました。他にも、広告などからも名簿を集めました。そして、数十パーセントのFAX番号を入手したのです。しかし、まだまだ、たくさんわかりません。そこで、最後の電話作戦です。
「○○と言いますが、FAX番号お願いします」
この繰り返しです。でも、約半分は教えてくれましたね。今なら、なんやらうるさそうですが。当時は、何の問題もありませんでした。こうして、数週間掛けて、パートさんと2人で電話をしまくりました。私は、日興証券時代、相場が動かない時など、時間潰しにテレアポをしていましたので、何でもありませんでした。多い日は、300件ぐらい掛けていましたので、慣れていました。しかし、パートさんは、相当、まいっていたようです。
束の間の平穏な日々、でもそれは本当に「束の間」だったのです・・・更なる天罰が私に!証券マン時代の無理やりなことに罰が当たったのでしょうか・・・
|