そうこう岡山で仕事をしていると、転勤の辞令がありました。ちょうど、入社4年目の2月です。ところは、大阪支店営業部です。岡山支店の2課と違って、4課ありました。1課4〜5人ですから、約20人ぐらいの営業マンの1人になりました。そこは、別世界です。何よりも支店長が役員なのですから。配属の日に一緒に転勤してきた3人は、支店長室に呼ばれました。そこで、言われたのは、一言だけ「ここは、本社20人、大阪20人の選ばれた営業マンだけが来るところだから、よろしくね」って。よろしくって言われても、困るのですけど、って感じです。一体全体、何人の営業マンが日興証券に居るのでしょうか。当時の日興証券の社員が12000人ぐらいだったので、その内、営業マンの比率が、20%としても2400人です。30%なら、3600人です。全く、想像がつきません。しかし、「選ばれた営業マン」だそうです。
しかし、選ばれたからといって、日々の数字が出来るわけではありません。年次は上がるし、転勤したからには一人前ですし、大阪営業部ですし、条件が揃いも揃って、ノルマも倍倍ゲームのように増えました。大阪支店の営業部長は、役員候補です。ということは、私たちの成績で、夢の役員になれるかどうか決まるのです。自分の出世の為に、部下を叱咤激励します。ほとんどの場合は、叱咤、叱咤、叱咤だけですけど。ここでも、隣の課の先輩が、営業部長の席の横に2日間立たされていました。明日は我が身です。頑張らないといけません。 もちろん、数字の締め付けは、厳しくなる一方です。この頃になると、夜中に目が覚めるようにプレッシャーが掛かります。寝るのが、0時過ぎになるのですが、それでも、2時頃、4時頃に目が覚めます。そして、6時に起きて、6時半に家をでます。更に、私の場合、プレッシャーは両腕に来るのですね。両腕がしびれてくるのです。血行が悪くなるのかどうなのか、とにかくだるくなるのですね。ノルマがきつくなってくると。もっと、悪いのは、振った旗が埋まってないと。 大阪支店にいる時に、JR東海の上場がありました。入札以外では、1株ずつ抽選なんですね。これは、新規顧客をつくるチャンスということで、全社を上げてのキャンペーンになりました。もちろん、頑張りたいのですが、そんな手数料の落ちない仕事をしているわけにもいきません。日々のノルマがなくなるわけではありませんから。そこで、私は、会社にあるDM用の往復はがきを大量に家に持って帰り、担当に自分の判子を押して、帰社後、つまり、11時とかから、自宅の周りに配ったのですね。つまり、ポスティングです。後に私の本業になるのですが、当時は知らぬこと。「一枚一枚願いを込めて」配ったものです。それで、何件か取れました。 そして、ある日、馬鹿らしくなって、会社を辞めることにしました。5年目の夏です。辞表を書きました。しかし、辞表も受け取って貰えないのですね。これまた、いじめのようです。何回お願いしても、「今はダメ。来ないのなら無断欠勤にして、退職金も出さないよ」の一言です。更にノルマはきつくなります。何故か、また、頑張ります。習性なのでしょうか。それとも、洗脳されていたのでしょうか。そして、やっと、2月一杯で辞める許可がでました。念の為に、退職前に有給休暇を申請しましたが、無視されました。そして、辞める2日前まで、いじめのようなノルマを課せられて、営業させられました。本当に2日前まで、旗を振らされ、それを埋めての毎日でした。 後々考えると、あと、1ヵ月余分に在職していれば、退職金の掛け率が大きく上がります。額にして、数十万円ですね。何だか騙されたような、そうでないような、何とも難しい会社でした。 退職して私がしたこと、そしてつまづいたこと。つい最近のことなのに、随分遠い過去のようにも思います。それだけ思い出したくないことなんでしょう。さて、退職後の私を待っていたもの、それは・・・あー思い出したくない! |