小学校は、豊中市立北丘小学校です。当時は、マンモス校で1学年8クラスから9クラスありました。というか、家の周りも同世代の子供だらけですね。これは、開発団地の大きな特徴の一つだと思います。その反対に今は、私の両親も含めて高齢者だらけですが。小学校当時は、毎日、外で遊んでいました。今みたいに物騒でなかったこと、そして、学年を超えて野球をしたり、ハサミンをしたり、盗人探偵をしたりしていたのですね。本当に学年を超えていました。今の子供たちとは、全く違いますね。学校では、成績が悪く、一重丸だらけでした。一重丸が不適、二重丸が合格だったのです。そして、私の通信簿は、一重丸だらけ。たまに均等したり、二重丸が増えたりとしましたが、概ね6年間馬鹿でした。だからと言って、勉強をするのでなく、毎日、遊んでばかりしていました。更に目立ちたがりなのか、児童会に立候補して書記に当選しました。立候補者も10名程度いて、選挙活動をしたのですね。タスキをかけて、他のクラスにお願いに行ったりしました。思い出深い小学校生活を送りました。 豊中市立北丘小学校
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中学校は、豊中市立第八中学校でした。クラブ活動は、柔道でした。体が少し大きかったので、(といっても当時はデブではなかったのですが)「有利かな」と思って入ってしまいました。封建的というか、変なクラブで、1年生はしごかれ、2年生はしごき、3年生は畳の上で寝ていました。唯一、大会の前になると、練習するのですね。一夜漬けみたいなクラブでした。しかし、成績は良く、豊中市の大会では団体戦ではほとんど優勝か準優勝をしていました。私自身も、個人戦で2度ほど準優勝をしています。勉強は相変わらず、馬鹿からスタートをしました。2年生の2学期の実力テストでは、学年男子260名中、230番ぐらいの成績でした。さすがに、これでは行く高校がないと自分自身、悟りました。だから、仕方なく勉強を始めたのですね。毎日、夜中の2時ぐらいまで、日課のように受験が終わるまで勉強をしました。その成果も少しずつ現れ、最後の方は、学年で30番前後の成績でした。偏差値も70程度になりました。そして、考えたのは、「二度とこのような勉強をしたくない」という、安易な答えだったのです。 豊中市立弟八中学校
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